世界級キャリアはこうして作られた
 
takura_kawai川井 拓良さんについて中学卒業後、New Zealand に留学。その後南アフリカ共和国にて高校を卒業。モンゴル国立大学を経て英国リーズ大学を卒業。オックスフォード大学法科大学院、ルーベン大学 (ベルギー) 法科大学院 (共に奨学金を受ける) を卒業。Herbert Smith 法律事務所、野村證券企業情報部、Allen & Overy 法律事務所 (チェコ共和国) を経て現在は CMS Cameron McKenna 法律事務所の中央・東ヨーロッパ地域を担当
(敬称略)
大塚 「前回インタビューしました スティーブ・モリヤマ さんに異文化の寄木細工のようなユニークな方がいらっしゃるということで川井さんを紹介していただきました。まず、現在のお仕事について教えていただけないでしょうか?」

川井 「CMS Cameron McKenna という国際法律事務所で弁護士をしています。主に東欧、ロシアに進出している日本企業の新規投資案件、M&A 等の法的サポートを行っています。」

大塚 「その前は競合他社である国際法律事務所 Allen & Overy にいらしたと聞きました。また CMS Cameron McKenna もパートナー見込みと聞いております。川井さんはまだ 32 歳と聞きます。すごいですね!」

川井 「とんでもございません。」

大塚 「川井さんは、中学を卒業して以降、ずっと外国で教育を受けられたとようですね。きっかけはご両親の転勤でしょうか?」

川井 「いえいえ (笑)。一人でニュージーランドに行きました。」

大塚 「一人で!? すごいっていうか、許可した両親がすごいですね。」

川井 「うちの両親はちょっと変わっていまして、家で居心地の良い環境を子供達に与えませんでした。家には流行のおもちゃやゲームとかはありませんでした。幼い頃から自分で考る事、自分の行動には責任を取ること、人には挨拶することなど当たり前の事でしたがうちでの基本ルールとでも言うのでしょうか。あと 5 人兄弟の家庭だったので子供が一人くらいいなくなっても良いみたいな、「かわいい子には旅をさせろ」みたいな環境でしたね (笑)。」

大塚 「何だか戦前の家庭のように聞こえてしまいます (笑)。どうして日本の高校に行かなかったのですか?」

川井 「高校受験はしましたが、当時は勉強に本当に興味がなく高校に行く目的すらありませんでした。、。小学生時代から全く勉強しなかったので、成績はいつもビリ。小学校時、塾に行っていないのは私だけ。親も『別に行かなくても良い』というスタンスでしたので、それほど気にしませんでした。」

大塚 「どうして海外だったのですか?」

川井 「とにかく小さい頃から『いろいろな人に会いたい。いろいろな所を見てみたい。』と好奇心だけは旺盛でした。中学一年生のときに一人で韓国を放浪し、中学 2 年生のときはオーストラリアをヒッチハイクで周ったりしているうちに、外国で住みたいという気持ちが強くなってきました。そこで高校は軽い気持ちでのニュージーランドにしようと思い、ニュージーランド大使館にあった電話帳から学校を選び、地図にも載っていないマオリ族の村にある学校の校長に入学させて欲しいと手紙を書きました。そして入学を許可するとのことでしたので、そのまま旅たちました。」

大塚 「マオリ族? 村?? そもそもそこは英語は通じたのですか?」

川井 「国の公用語は英語ですが、たどりついた村はマオリの文化を大切にする場所だったのでいきなりマオリ語でした。そもそも私は当時英語が大の苦手で中学 1 年生レベルもなかったと思います (笑)。」

大塚 「それでよく海外に出ようと思いましたね (笑)。宿泊先とかは?」

川井 「着いて校長に『泊まるところはありますか?』と聞いたらクラスメートを紹介してもらいました。」

大塚 「信じられません。。。マオリ族の村はどういうところでしたか?」

川井 「失業率は 100% 近く、親は朝からビールを飲んでいる。『今楽しければいい』という風潮で、天気がいいときは授業も出ない学生が多く、サーフィン、ラグビーばかりしていました。お陰でここでもほとんど勉強しませんでしたが、体は鍛えられましたね。(笑)」

大塚 「高校でも勉強しなかったんですか (笑)。その高校は卒業されたんでしょうか?」

川井 「結局ニュージーランドには 2 年半程いて、その後南アフリカのポート・アルフレッドという港町にある高校に編入しました。」

大塚 「南アフリカ?」

川井 「中学時代に地球白書で読んだ南アフリカで起こっているアパルトヘイトという人種問題に興味がありましてね。マンデラが大統領になる前で国の状況が揺れていた時代だったので今しかこの問題を生で見るチャンスはないと思い、南アフリカに渡りました。」

大塚 「当時 17 歳くらいですよね。その行動力に呆れてしまいます (笑)。学校はいかがでした?」

川井 「私が通ったのは白人の学校で白人以外は自分だけ。白人もイギリス系 (イギリスからの移民) とアフリカ系 (オランダからの移民) に別れていて私はオランダ系のクラスに入れられたため、アフリカ語で授業を受けなければならず、全く理解できない。当然成績もゼロに近いものでした。」

大塚 「それでもちゃんと卒業したんですね。その後はどうされたのですか?」

川井 「半年程世界中放浪してました、ビルマのお寺で座禅したり、ニュージーランドで航空学校へ通いパイロットの免許を取得したり、日本の温泉めぐりなど、そして散々悩んだ末、ロシアのモスクワ国立大学に入ることにしました。」

大塚 「モスクワ国立大学って、日本でいえば東大ですか?」

川井 「一応そうです (笑)。」

大塚 「成績がビリの人がどうして入れたのですか?」

川井 「当時日本からの留学生がいなかったから『一人位いいのでは』と思っていたのではないでしょうか (笑)。今では無理でしょうけどね (笑)。」

大塚 「面白いですね。モスクワはいかがでしたか?」

川井 「当時は冷たいところでしたね。留学して 1 ヶ月後、乗っていた地下鉄の一つ前の車両で爆発テロが起き、人が血だらけになるのを見てしまいまして。。。それでここはまずいと思い、父から、『日本に帰って来い!』ということでしたので日本に帰えることにしました。でも飛行機で帰るお金がない。仕方がないので、電車に乗って北京経由で日本に行くことにしました。」

大塚 「聞いただけでぞっとするような話ですね。それで日本に帰えられたのですね。」

川井 「それが、ちょうどモンゴルのウランバードを通った時、見上げた空が本当にきれいでして。。。途中下車したら街に一目ぼれしてしまい、『よし、ここの大学に入ろう!』と、そのままモンゴル国立大学に入学しました。丁度 10 月だったので新学期が始まったばかりだったので良いタイミングでした。」

大塚 「何だか小説みたいな話ですね (笑)。ここもモンゴルの東大みたいなところですか?」

川井 「そうです。成績証明書はアフリカ語で書かれている為、誰も分からない。外国人留学生がくればお金になるということで入学が許されたのではないかと思います (笑)。」

大塚 「モンゴルはいかがでしたか?」

川井 「とても勉強をしようという雰囲気になれるところではありませんでした (笑)。何しろ自然と人々がが素晴らしい! 学校へ行かず一番仲の良かったモンゴル人の叔父・叔母が遊牧民をしていましたので、一緒に住ませてもらい、自然を満喫していました。」

大塚 「言葉は通じましたか?」

川井 「情熱があれば何とか通じます、頭にあまり詰まっていなかったせいか、言葉は簡単に身につきました (笑)。」

大塚 「素晴らしいですね。でも話を聞いていますと現在のエリート弁護士に全く近づきません。どちらかと言えばどんどん離れていっているような気がします (笑)。モンゴルにいたのはわずか 10 年ちょっと前ですよね?」

川井 「そうです。ちょうどそのころ、モンゴル人親友の従兄弟が警察に殺されまして。。。」

大塚 「何か悪いことをしたのですか?」

川井 「当時はモンゴルでは警察が大きな顔をしていまして、気に入らないというだけで人を殴ったりします。法律なんてあってないようなもので、その殺した警察官も二日後には釈放されました。これには本当に頭にきまして、殺されてもいいから徹底的に戦ってやろうと思いました。しかし、いろいろな人に説得されて『この国には法律がないからダメなんだ!』ということが分かり、法律家になろうと固く決意しました。」

大塚 「まるで映画みたいな話ですね。」

川井 「こう話すとそう聞こえますね (笑)。」

大塚 「でも今まで全く勉強しなかった人が突然弁護士とはハードルが高すぎるのでは。。。」

川井 「イギリスの大学を目指したので、A レベルという英国大学入試試験のようなものを受けなければなりませんでした。3 科目に合格しなければならなかったのですが、イギリス人は 15 歳から 3 科目しか勉強していないので、要求される学力は相当高い。イギリス大使館にお願いして過去の試験問題を頂き、1 年間必死でモンゴルで受験勉強し、何とか合格しました。」

大塚 「勉強に対するマグマが一気に爆発したんですね。大学はどちらにいかれたのですか?」

川井 「英国北部の伝統的なリーズ大学です。」

大塚 「欧米の大学の勉強量はすさまじいと聞きます。」

川井 「イギリス人は高校生から法律の勉強をしています。毎日 500 ページも専門書を読まなければならず、全くついていけない。結局毎日 4 時間睡眠で必死に勉強しました。リーズ大学には 3 年間いましたが友達を全く作れませんでした、というかそんな余裕はなくただただ勉強でした。」

大塚 「専門はやはり人権問題でしたか?」

川井 「それが。。。進みたかった人権問題の試験結果は悪く、次のコースに進めませんでした。その代わり会社法で書いた論文が国の論文コンテストで 2 位に入りまして。。。」

大塚 「すごい!」

川井 「お陰で『是非ウチに来て欲しい!』と有名な法律事務所から Offer を沢山頂きました。大きな金額の条件提示もいただきました。お金に目がくらんだわけではありませんが、会社法も『面白いかもしれない』と思ったのが今へのきっかけでしょうか。」

大塚 「モンゴルでの怒りは (笑)?」

川井 「ケンブリッジ大学でモンゴル研究で権威あるモンゴル人教授に大変お世話になっていたのですが、彼から『一人の力は限られている。』といろいろと教えられ考えも少しずつ変わってきました。もちろんその間、モンゴル自体も大分近代化しました。」

大塚 「そうでしたか。その後はどうされたのですか?」

川井 「奨学金をもらいオックスフォード大学のロースクールに入り、会社法をもっと深く勉強しました。」

大塚 「奨学金でオックスフォードとはすごい!」

川井 「オックスフォードではじめて勉強以外の面白さを感じました。友人も沢山出来、ラグビーに打ち込んだりして学生生活を Enjoy しました。その後イギリスの法律だけではなく、ヨーロッパ全体の法律を学びたいと思い、国から奨学金をもらいベルギーのルーベン大学に留学しました。」

大塚 「今度はベルギーですか? すごいですね。ルーベン大学を卒業されたされた後に契約されたイギリスの法律事務所に勤められたのですね。初の社会人経験はいかがでしたか?」

川井 「イギリスの Corporate カルチャーそのもの、アジア人など私以外いないところでして、白人同士で固まりなかなか仲間に入れませんでした。仕方ないと割り切って必死に仕事をしました。2 年後に『何か違うな』と思い、やめましたが。。。」

大塚 「やめてどうされたのですか?」

川井 「東京の野村證券の M&A 部門に 4 ヶ月だけ勤めました。」

大塚 「野村證券? 川井さんのような方は日本企業が合うとは思えません (笑)。」

川井 「野村證券では本当に良くして頂きましたが、何しろ東京が合わなくて。。。とにかく考える場所がない。泳いでいて息継ぎする場所がないような感覚でした。」

大塚 「どこでそういうのを感じたのですか?」

川井 「季節の変わり目が分かりませんでした。いつの間にか春になっていた。結局東欧の友人を頼り就職活動して Allen & Overy のプラハオフィスで働くことにしました。そこで 4 年間新規顧客開拓を担当し、半年前に現在の CMS Cameron McKenna に前に移りました。」

大塚 「前半と後半は全く違いますね。5 年後には何か全く違うことをしているような気がします。人権問題に戻るとか、教育の分野に足を踏み入れるとか (笑)。。。」

川井 「最近かなりまじめコースを歩みすぎてしまい、物足りなさを感じています (笑)。けれど今の仕事で一番楽しいのは新しいクライアントに出会い、いろいろな業界のお話が聴けることです。また仕事もとてもチャレンジングなので刺激になるものばかりです。その他に現在でも公共奉仕活動として東欧へ違法就労で来ている外国人労働者の法的手伝いなど時間の限りがあるだけ手伝っております。この仕事のきっかけもプラハの路上でモンゴル人にモンゴル語でいきなり話しかけられたのがはじまりで、弁護士の友人と一緒にこういった人たちの法的保護をしております。」

大塚 「川井さんの話は、子供は放っておいても勝手に育つことを体現された方ですね。放っておけば自然に自分でやりたいことを見つけ、どこかで本気になる。しかし現実的に多くの子ども達は、早い段階から過度にプレッシャーをかけられ、本気になれるものを自分で探す前に燃え尽きてしてしまうケースが多いように感じます。」

川井 「本当にそう思いますね。子供は空の状態でいいと思います。他国の中学生と比較して、日本の子供たちは何だか brainwashed (洗脳) されているような気がします。全然子供っぽくない。親も子供のためと思ってやっているのでしょうが、一番多感でいろいろな経験をするべき 10 年間を失っているのはとても残念に思います。これは何も日本だけではなく、先進国に共通する問題ですが。。。」

大塚 「小さい頃から出来る限り敗者にならないようにレールをひいてあげちゃうと、学ぶタイミングを失ってしまう。」

川井 「失敗させることはとても大事です。日本人は特に失敗を恐れる傾向がありますね。失敗のほうが学ぶことがたくさんあるので私は失敗を恐れません。イギリスでも枠にはめられそうになりますが、私は例えマイノリティーでも自分が思ったことを恐れずにどんどん貫こうとします。」

大塚 「素晴らしいですね。最後に日本人のグローバル化についてお聞きしたいのですが、日本では国際人というとまず英語が出来ること考えられ、みんな一生懸命英語・英会話を勉強しています。しかし語学というのは言葉だけではなくその背景にある文化や習慣などを含めたものが大切でコミュニケーションスタイルも全く違います。これを学ばないで言語ばかり学んでいてもいつまで経っても外国に出て通用しません。その中で私が一番残念に感じていることは多くの日本人は欧米流コミュニケーション方法の根幹をなす『確認作業』を取りたがらないということです。つまり、『これってこういうこと?』『それってどういうことですか? 言っている意味が理解できません』といえない。」

川井 「確かに私が一緒に仕事をする日本企業でトップの中でも、自分の英語力が低く見られるのを嫌い、確認作業を取りたがらない人も少なくありません。でもコミュニケーションは双方向でないと成立しません。理解できない本人だけが悪いのではなく、分かりやすく説明できていないその人も悪い。分からないことをどんどん突っ込んでいかなければ仕事になりません。それが説明している人のためになる。恐れていたら終わってしまいます。でも昔に比べ、大分国際感覚の持った人が増えてきたような気がします。交渉の場で冗談をいったり外国人を前にしても気後れしている人が少し減ってきたような気がします。また日本人はパーフェクショニストですが、現在の共通語が英語になりいろいろな民族が英語を話してます、ロシア人ならロシアチックな口調、イタリア人ならイタリア訛りの英語で普通に話してます。そんな人それぞれの英語を持ち、コミュニケーションとれるのは素晴らしいかと思います、またこれだけ多彩な今です、パーフェクトな英語でなくても心が通じ合えればそれで良いのではないのでしょうか?」

大塚 「いい話ですね。一人でも多くそのような方が増えていって欲しいものです。それにしても川井さんはまだ 32 歳。これからどうしましょう? 何だか楽しみです。」

川井 「恐らく今とは全く違うことをしていると思います。70 歳になった時、楽しかった、フルに人生を楽しめた、子供たちに手本になれるような人間でありたいと願っております。」

大塚 「楽しみにしています! 本日はありがとうございました。」